-JAL123便墜落事故31年目の記録-


記事の内容

前へ | 次へ

生存者の証言 −吉崎博子さんの証言−
2012/09/13 22:48

吉崎博子さんは家族4人で123便に搭乗し、事故に遭った。長女の美紀子さんとともに生還。博子さんは事故当時35歳。美紀子さんは8歳。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
私は眠っていたが、ドーンという音と同時に白っぽい煙と酸素マスクが降りてきた。 

乗客は次々とベルトを締めたが、機の揺れが激しく、ベルトによる胸部への圧迫から失神する乗客が続出した。
これを見ていた夫は自分の危険を顧みず、ベルトをはずして立ち上がり、スチュワーデスに失神者の救助を依頼。
自分も手近の失神乗客に声をかけたり、酸素マスクをあてるなど、精いっぱいの活動をした。
ゆかり(次女)は気分が悪く、マスクをしながら、「あげそう」と言った。 
ゴミ袋を当てると、少しもどして、まっ青で気を失った。
救命胴衣をして頭を両足の中に入れて」と放送があったが、美紀子(長女)は救命胴衣をつけられなかった。

やがて、飛行機は激しく揺れ出しました。
ジェットコースターにでも乗っているような感じで、真っ逆様に落ちてゆきます。
窓の外の景色がどんどん変わりました。
物凄く恐いのですが、スチュワーデスの方々が「大丈夫ですから、大丈夫ですから」と何度も言っていましたから、どこか故障したので機体は不時着するのだ、と思っていました。
絶対に無事に着くと思いました。
遺書を書くことなど、思いもよらなかった。
夫も「子供の前なのだから、しっかりしろ、うろたえるな。落ち着くように」と励ましてくれました。
また「眼鏡をかけたままではケガをする」と気付かってくれました。
 
機体は何回か、ガタンと方向を下げてゆきます。
長い時間だったようにも思いますし、短い時間のようにも思います。
そして激しい衝撃がありました。
私は、それっきり、気を失ったようです。

目が覚めたときは、真暗闇でした。
静かで何の音もしません。
美紀子は「痛い」と唸っていたので生きているんだな、と思いました。
夫の足が私の肩に乗っています。
ゆかりの姿は見えません。
充芳(長男)の姿も見えません。
遠くで「お母さん」という声が聞こえました。
間違いなく充芳の声なのですが、私は声も出ず、身動きもできぬ状態です。
やがて、充芳の声は聞こえなくなりました。
あれが最後の声だったのでしょうか。

墜落後、うとうとしかけると、美紀子が「ママ眠っちゃダメだよ。死んでしまうよ」と声をかけて励ましてくれて、それで助かることができました。

カテゴリ:吉崎博子さんの証言

前へ | 次へ

BlogTOP
このユーザーのホーム

ログイン

i-mobile


Powered by FC2 Blog