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事故から2年後の1987年(昭和62年)6月19日、運輸省航空事故調査委員会は「航空事故調査報告書 日本航空株式会社所属ボーイング式747SR-100型JA8119 群馬県多野郡上野村山中 昭和60年8月12日」を時の運輸大臣、橋本龍太郎に提出し、一連の調査を終了した。事故調査委員会が断定(推定)した事故原因及び結論は下記の通りであった。

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昭和53年6月の大阪国際空港(伊丹空港)における「しりもち事故」による損傷の修理の際、後部圧力隔壁の修理に指示とは異なる不適切な作業が行われた(詳しい内容は「しりもち事故とその後」を参照)。不適切な作業が行われた圧力隔壁の接続部は本来の強度の70%程度に低下し、この部分は疲労亀裂が発生しやすい状態になったと推定される。



昭和60年2月~8月の間に化粧室ドアの不具合が33件報告されており、そのうち28件は客室最後部位置の化粧室についてのものであり20件はグアム便(大阪-グアム間)で発生したものである。グアム便の不具合は、客室後部コートルームに大量の物資を搭載というグアム便の特殊事情によるものであると考えられ、コートルーム棚下への物品搭載禁止の徹底により不具合は解消した。しかし、「しりもち事故」の際に機体後部に変形を生じ、これが一連の化粧室ドア不具合に関与していた可能性を完全に否定することはできない。

機体構造の詳細な整備は、主としてC整備(約3,000時間ごと)で行われるが、「しりもち事故」以降7回行われたC整備、および約250時間ごとに行われるA整備においては、後部圧力隔壁修理部分は特別な点検箇所としては指定されておらず、疲労亀裂を発見することはできなかった。

事故機の後部圧力隔壁修理部分の疲労亀裂は「しりもち事故」以降、飛行を重ねる度に客室からの内圧(与圧の際の圧力)を受けて進展していった。



そしてついには12,319回の飛行回数を重ねた事故時にベイ2の破断を契機として全面破断したものと推定される。



破断が進行した結果、後部圧力隔壁上半部のウエブの一部が客室与圧空気圧によって後方に吹き上げられ開口した。開口面積は2~3㎡程度と推定される。客室与圧空気は圧力隔壁の破断部分から後部胴体内に衝撃波を伴って流出したものと考えられる。



後部圧力隔壁の開口によって、操縦室を含む客室与圧は数秒間で大気圧まで減圧したものと推定される。

客室与圧空気が流出した尾部胴体内の圧力は急激に上昇し、その強い内部圧力に耐え切れずAPU防火壁以降のAPU本体を含む構造は共に脱落したと推定される。

尾部胴体内とつながっている垂直尾翼内にも客室与圧空気の一部が流れ込み、APUと同様に内部圧力が上昇し、破壊が始まったと推定される。垂直尾翼の破壊に伴い方向舵は脱落し、その直後から方向舵による操縦機能は失われたと考えられる。

4系統ある操縦系統の油圧配管は他の損壊部分に近い場所にあった為に、配管の隣接部分が他の損壊と一緒に損壊・破断したものと考えられる。この損壊・破断により油圧を使った操縦機能は全く効かなくなったものと考えられる。



このような同機の破壊は、数秒程度の短時間のうちに進行したものと推定される。この機体の破壊によってほとんどの操縦機能は、異常事態発生直後、長くても異常事態発生後1.0~1.5分の間に失われたものと推定される。

破壊の結果ほとんどの操縦機能が失われたこと及び機体の安定性が極度に劣化したため、同機では姿勢・方向の維持、上昇・降下・旋回等の操縦が極度に困難な状況になったものと推定される。さらに激しいフゴイド運動・ダッチロール運動が生じ、その抑制が難しい状態にあったものと推定される。同機は不安定な状態での飛行の継続はできたが、運航乗務員の意図通りに飛行させるのは困難で、安全に着陸・着水する事はほとんど不可能な状態であったものと考えられる。

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上記の通り事故調査委員会が出した事故原因は、しりもち事故の際に行われた不適切な修理個所に起きた疲労亀裂による圧力隔壁の破壊によって流れ出した与圧空気が機体尾部構造を破壊、この破壊により123便はほとんどの操縦機能の喪失(油圧配管の破断)、極度の機体の安定性低下(垂直尾翼の破壊)が起きたためコントロール不能に陥り、最終的に墜落したとの結論を出した。

しかし、この結論に対しては生存者の証言やCVRの内容などから、「操縦室を含む客室与圧は数秒間で大気圧まで減圧した」とされている、いわゆる『急減圧』が本当にあったのか?実は機体尾部構造を破壊した原因は別にあるのではないか?という疑問が早くから言われ続け、独自の仮説を唱えつづけている方々もいる。それほど世論はもちろん、遺族の方々まで事故調査報告書に対する疑念は大きく、『急減圧』論争は現在に至るまで続いている。

上記のような世論の声に対し、運輸安全委員会(事故当時の航空事故調査委員会)は事故から26年経った平成23年、遺族の会である「8・12連絡会」の協力のもと『日本航空123便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書についての解説』と題した異例とも言える解説書を発表した。素人には難解な事故調査報告書を、他の航空事故の例や、市販されている123便事故の書籍の内容などを織り交ぜ、わかりやすいように解説し直した物である。ただし、この解説書はあくまで事故調査報告書の解説にとどまっており、他の事故原因の可能性を示唆するものではない。


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